以前、三大奇書の一つ『黒死館殺人事件』(小栗虫太郎)を読みましたが、今度は同じく三大奇書の一つである『ドグラ・マグラ』(夢野久作)を読み終わりました。
 これも青空文庫で読めます。

 青空文庫:図書カード:ドグラ・マグラ

ドグラ・マグラ
夢野 久作
2012-10-01





 実は読む前は卑猥でグロい小説だと勘違いしていました。
 おそらく角川文庫版の表紙絵が女性だか男性の局部を「角川文庫」と書かれた黒塗りで隠していたために卑猥なものだと勘違いしてしまったのかもしれません。
 エロでもグロでもホラーでもないです。

 三大奇書ということでミステリ(推理小説)でありながらミステリらしからぬ作品です。
 おそらく今ならSFに該当すると思います。
 作品が発表されたのが戦前の昭和10年(1935年)のため、当時はまだSFが一般的ではなかったのでしょうか。

 昭和10年発表ということですが、今でも十分通用する内容です。
 推敲に10年は要しているらしいので、昭和どころから大正に初稿が書かれたことになります。
 大正時代でこれはオーパーツ的な小説だと思います。
 現代ならDNAとかミトコンドリアで説明してしまうところを、それ以外のもの(胎児の夢)で説明しているのが逆に新しく感じました。

 これから読む人にアドバイスすると、チャカポコで躓いたという人を多く見かけますが、チャカポコは「結構毛だらけ猫灰だらけ」のリズムと読むとスラスラ読めます。映画『男はつらいよ』の寅さんが物を売るときの口上のようなことをやっているわけです。



 以下、内容に触れた感想。

●正木教授と若林教授が同時に出現していない
 自分の見逃しがないなら主人公“私”の目の前にこの2人の教授は同時に出現していません。同時出現は手記などの伝聞形式のときだけです。
 これはもしや2人の教授は同一人物というトリックでは? と一瞬疑いました。
 しかしこれは簡単に否定できました。2人の背格好(身長と体付き)が、片方は小柄でもう片方が大男と全く違うからです。人相だけなら変装して一人二役を演じられますが、背格好までとなるとそう簡単には変えられません。ゆえに人が同一人物という説は否定されます。
 それにしてもこの2人は、イニシャルがそれぞれ(M)と(W)だったりと、色々と対照的になっているようです。

●結局“私”は誰なのか
 答えが書いてないので複数の解釈をすることができます。
 自分の解釈は、“私”は呉一郎で、その呉一郎が妄想の中でさらに妄想を見ていたという二重構造の物語だったというありふれたものです。そう解釈するのが普通ではないでしょうか。。
 しかし、どこのサイトか忘れましたが、ネット上の考察の中に「“私”はモヨ子の胎児で、その胎児が見ていた夢である」という説がありました。言われてみるとたしかにその説でも通じます。その解釈は面白いです。


 他にも読んでる最中に思ったことはあるはずですが、うまくまとめられないのでこれだけです。いつか再読したときにまた感想を書くかもしれません。