『きまぐれ星のメモ』を読了。
エッセイ集です。
文庫版の初版発行が1971年(昭和46年)なので、おそらく雑誌掲載の時期は昭和40年前後だと思います。40年以上前に書かれたエッセイということになりますが、今でも十分読めます。
■鋭い洞察力
鋭い洞察力をもって書かれたエッセイが多いですが、その一例を。
さらりと書かれているので大したことはないと錯覚してしまうが、テレビを眺めてそこに映っていないものを見つけ出すというのは、意外と難しいことではなかろうか。
たぶん多くの人はテレビのホームドラマを見ても「一家団欒のシーンだな」としか思わず、そこに存在しないものを探そうとすらしないはず。
存在しないものといっても宇宙人やUFOなどといった論理の飛躍はしない。ホームドラマの家庭と現実の家庭を論理的に比較検討し、そして、テレビの中に存在しないものを発見しているのだ。
目に見えるものを「ある」というのは簡単だが、そこにあるべきものなのに「ない」というのは難しい(と、昔読んだ本に書いてあった受け売りを言ってみたりする)。
ちなみに、『小説を読んでも、テレビ局の出てくるのはあるが、視聴している人物を描写した文にお目にかかることはめったにない』とあるが、氏の作品には存在したりする。『白い服の男』収録の「老人と孫」などがそうだが、もしかして上のエピソードからインスピレーションを得て書いたのだろうか?
■当時の人の科学知識
当時の人の様子が書かれている部分を読むと、やっぱり昔書かれたエッセイなんだなと思う部分もある。下は当時の人の科学知識が書かれた部分。
それとこの部分を見ると、星新一は若い人の考え方に近かったことが分かる。
■昔も無報酬の依頼
最近、クールジャパン推進でクリエイターに無報酬で参加を呼びかける提案があり物議を醸したが、似たような事案はあいかわらず昔もあったようだ。
それにしても、万博長者を新聞で写真特集したりして大丈夫なのかと心配したりする。万博長者の所に下心のある人が集まって来たりしないだろうか。
【4コマ漫画】
4コマ漫画も作ってみました。

エッセイ集です。
文庫版の初版発行が1971年(昭和46年)なので、おそらく雑誌掲載の時期は昭和40年前後だと思います。40年以上前に書かれたエッセイということになりますが、今でも十分読めます。
■鋭い洞察力
鋭い洞察力をもって書かれたエッセイが多いですが、その一例を。
テレビを眺めて
テレビの出現以来、茶の間における一家団欒という現象は大幅に失われた。画面を眺めるほうが忙しいからである。いいの悪いの言ってみても仕方がない。これが時の流れというものだ。悪くもないというのは、茶の間でつのつきあわせる率もまた、大きくへっているに違いないからである。
しかし、全家庭がそうなってしまったわけではない。わずかに例外が残っている。どこにかというと、皮肉なことにテレビのホームドラマに登場する家庭である。
その人たちは、普通ならテレビを眺めてすごすべき時間を、そんなものがあったかなと、そしらぬ顔をして生活している。老若男女すべてテレビに興味のない者ばかり、こんな家庭は現代において、きわめて異常というべきではなかろうか。
(中略)
現代を舞台にした小説を読んでも、テレビ局の出てくるのはあるが、視聴している人物を描写した文にお目にかかることはめったにない。あるいは、テレビ視聴は非常に恥ずべき行為であり、良識ある作家は公然と描写するのを避けているのかもしれぬ。
さらりと書かれているので大したことはないと錯覚してしまうが、テレビを眺めてそこに映っていないものを見つけ出すというのは、意外と難しいことではなかろうか。
たぶん多くの人はテレビのホームドラマを見ても「一家団欒のシーンだな」としか思わず、そこに存在しないものを探そうとすらしないはず。
存在しないものといっても宇宙人やUFOなどといった論理の飛躍はしない。ホームドラマの家庭と現実の家庭を論理的に比較検討し、そして、テレビの中に存在しないものを発見しているのだ。
目に見えるものを「ある」というのは簡単だが、そこにあるべきものなのに「ない」というのは難しい(と、昔読んだ本に書いてあった受け売りを言ってみたりする)。
ちなみに、『小説を読んでも、テレビ局の出てくるのはあるが、視聴している人物を描写した文にお目にかかることはめったにない』とあるが、氏の作品には存在したりする。『白い服の男』収録の「老人と孫」などがそうだが、もしかして上のエピソードからインスピレーションを得て書いたのだろうか?
■当時の人の科学知識
当時の人の様子が書かれている部分を読むと、やっぱり昔書かれたエッセイなんだなと思う部分もある。下は当時の人の科学知識が書かれた部分。
ソ連が人類はじめての人工衛星スプートニク一号を、突如として打ちあげた時には、ずいぶんと、いろいろな会話を楽しむことができた。「月と火星とでは、どちらが遠くにあるのですか」と聞いてきたのは、ある一流電機会社の課長クラスの人であった。もっとも、技術畑の人ではない。多くの人が私に、この種の率直な質問を気楽に話しかけてくる。科学者や技術者といった、重々しい肩書きを持っていないせいだろうか。それとも、理知的な人相をしていないせいだろうか。だが、いずれにしろ、相手に恥をかかせることだけはしない。私は頭をかき、どもりながら答えた。「さあ、ぼくもよく知っているわけではありませんが、火星のほうが遠いようですよ」
それとこの部分を見ると、星新一は若い人の考え方に近かったことが分かる。
先日、あるテレビ局の座談会に出席し、未来の食事に話題が進んだ時、私はなにげなく「味のいい低カロリー食、さらには、すばらしい味のゼロ・カロリー食が普及するでしょう」と喋った。(中略)若い出席者たちは「早くそうなるといい」と賛成してくれたが、年配の司会者はあわてた様子だった。あとで聞くと、未来の食事は一粒で満腹といった形になるものとばかり思っていて、それで番組の進行を予定していたのである。戦前の人と戦後育ちとの感覚の差を知ることができ、思わぬ経験となった。
■昔も無報酬の依頼
最近、クールジャパン推進でクリエイターに無報酬で参加を呼びかける提案があり物議を醸したが、似たような事案はあいかわらず昔もあったようだ。
世は未来ブームとともに万博ブームでもあるようだ。先日、私のところへ万国博本部から手紙が来た。印刷されたものだから、各方面に相当な数を出したものだろう。内容は
「貴下に万博のモニターになっていただき、お知恵を借りたい。無報酬だが、いずれなんらかの形で謝意を表します」
とあった。専門家だけでは手におえないので、広くアイデアを求めたいというのだろう。無報酬とは酷いと思ったが、その時はさほど腹も立たなかった。
私が顔をしかめたのは、数日後である。新聞を見ていたら、万博長者の写真特集がのっていたからである。
万博会場のために土地を提供し、大金を得て豪華な邸宅を作った人たちである。その人たちはそれでいい。先祖伝来の田畑や山林を手離したのだから補償をもらうのは正当である。
しかし、土地の提供者には大金を払い、頭脳を提供させようという人には無料。あまりに大きな相違である、万博の上層部にどんな人がいるのかは知らないが、頭脳の働きには一円も払う必要がないという考えの持ち主なのだろう。
それにしても、万博長者を新聞で写真特集したりして大丈夫なのかと心配したりする。万博長者の所に下心のある人が集まって来たりしないだろうか。
【4コマ漫画】
4コマ漫画も作ってみました。
