『できそこない博物館』(星新一)を読了。
 エッセイ集です。
 アイデアなどを書きとめた大量の創作メモを取り出し、あれこれと話を展開させて語られています。
 没になったネタばかりかと思いきや、意外と実際に使われているメモもあるようです。
 手の内をさらけ出すなんてことはあまりやらないことだと思うので、すごい本なのではないでしょうか。

できそこない博物館 (新潮文庫)
星 新一
新潮社
1985-02-25



 というわけで、まずは、いくつか4コマ漫画にしてみました。

「できそこない博物館」より1、2

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「できそこない博物館」より3、4


●空想が実現しても喜んでなかった?
 書いたことが実現したらきっと嬉しいだろうなと思っていたが、どうもそうではなかったようだ。

 少し話題を変える。このあいだ、正確には昭和五十三年二月二十四日だが、朝日新聞の科学欄を見て、思わず「ありゃ」と叫んだ。
 見出しは「これは奇特なサナダムシ」で、そのある種のやつは、宿主に作用する物質を出し、ふとらせるというのである。
 アメリカの大学に招かれた木村修一教授がネズミにおけるこの現象に気づき、研究所がその問題をとりあげ、成長促進の物質を分泌すしていることが判明。日本でもこの研究が開始され、やがてはサナダムシによって頭をよくしてもらうことも夢ではないかもしれないとある。ネズミの体内で育て、その物質を抽出して、人体に注射するわけであろう。
 これには驚いた。このアイデアを作品にしたことがあるのだ。理屈で考えると、宿主に害を与える寄生虫ほどおろかなものはない。宿主が死んだら、自分もおしまいである。利口な寄生虫を作って、その卵を飲めばいいわけだ。私にしては珍しくグロテスク仕立て。
 短編集『ごたごた気流』のなかの「品種改良」という作品である。
 こういう事態は、SF作家にとって、まことに困ったことだ。これからの読者は、新鮮な驚きを感じてくれなくなる。
 私にとってSFは、実現しそうで、決して実現しないものでるべきなのだ。今後、この条件を意識すると、ますます書きにくくなりそうだ。きびしい時代になってきた。

      *

 そういえば少し前には、アメリカで電話にうそ発見機をとりつけるという記事が新聞にのっていた。相手の声を分析し、みわけるのだそうである。どの程度まで正確なのかは不明だが。
 これも私が『声の網』のなかで書いている。その当時は、まさか近いうちにそんなものなどできっこないと思っていた。
 内外のSF作家は、作品中の空想が現実のものとなると、喜ぶものだろうか。私の場合は、がっかりという感情で顔をしかめてしまうのだが。


 星新一といえば、作品が古くならないように色々と徹底しているのはあまりにも有名だ。それだけに空想が現実化して作品が古くなってしまうのは、あまり喜んではいられなかったのだろう。
 またこうも述べられている。

 六月はじめの各新聞に。こんな記事がのった。

 (中略)

 私の時代物の短編「はんぱものの維新」のなかに、そんな部分が出てくる。幕府の最後の勘定奉行・小栗上野介が、北海道へむかう榎本に、金ぴかのレンガをつんだ船を途中で沈めてくれとたのむのだ。
 この作品、会心の出来というものではないが、こうなってくると、人びとの興味をひくようになるかもしれない。科学の進歩で作品の古びるのはいやだが、過去への推理の的中するのはまんざらでもない。


 過去に対しての推理が的中した場合は、作品が古びることはないということで、まんざらでもなかったようだ。
 ちなみに、こういうアイデアメモがある。

予言者は、実現までは信用されず、実現したら無価値になる。


 この予言者というのは、SFを指している気もしなくはない。


●広告には肯定的
 広告を皮肉った作品が多いので、広告に対しては否定的だと思っていたが、実は広告に対して肯定的らしい。

 われわれは、もはやコマーシャルがないと、どうしようもないのだ。広告のない雑誌は、なんとなく読む気にならない。一時、PR誌が大流行し、どの企業もそれを出した。しかし、石油産出国の価格上げ、いわゆるオイル・ショックを境に、その大部分が発行をやめた。冗費節約ということもあるが、効果のなさがわかったからだろう。
 なぜかと考えてみると、PR誌には広告がのっていないのである。そのため、読もうという気にならない。まさに。パラドックスとは、このことだろう。
 いまだにがんばって、文化人類学的な編集をとり、利益を社会に還元しようという良心的な姿勢で、雑誌を出し続けている企業もある。いい内容だなあと思う、保存しておこうかという気にはなるが、読もうという気には決してならない。読んでもらいたければ、他社のでもいいから広告をのせろだ。


 広告関連の仕事もしていたので建前として言っているようにも見えなくもないが、テレビCMにしか興味を示さない異星の原住民を描いた「エデン改造計画」(『午後の恐竜』収録)は、この辺を着想にしているようなことが述べられてる。


●主人公を作ると……
 星新一作品には、特定の主人公を設定したシリーズ物がないが、それに関連して面白いことが書かれてる。

 シリーズ物は、性格的にむいていないのだ。ある主人公を作ってしまうと、そいつはある種の保障を得てしまうことになる。つかまることも、殺されることも、発狂することも、結婚することも、大学教授になることも、政界に入ることも宇宙人にさらわれることも、なんにもできなくなってしまう。そこがもどかしくてならない。


 ネットスラングでいうところの「主人公補正」ですね。

●「奇妙な機械」
 一番初めに掲載されている「自分の姿に似せてロボットを作るのだな」というのがオチになっている創作メモ。
 これは、たぶん「奇妙な機械」(『ふしぎな夢』に収録)のことだと思う。
 雑誌への掲載は『できそこない博物館』よりもずっと以前だが、しかし、単行本への収録は、星新一の死後になってからという作品。
 長らく未収録だった理由は知らないが、単に忘れていたのか、それとも手直しするつもりだったのか、その辺は不明。


【余談】
 広告付きの宇宙船は、20年前に実現してる。下の画像はTBSの秋山さんが宇宙にいたときのソユーズ。TBSのロゴが古い。
 ソユーズTM-11
 画像元
 Spaceflight mission report: Soyuz TM-11

 ちなみに「冬きたりなば」の挿絵。
 冬きたりなば