DEEP FEAR


 今アメリカのメキシコ湾で海底油田事故が起こっていますが、不謹慎にもそれにちなんで「DEEP FEAR」をプレイしました。初プレイです。
 「DEEP FEAR」の舞台は海面下300mに建てられた海底基地ですが、メキシコ湾の海底油田事故は1500mともっとずっと深いところです。300mでも大変なのに1500mはもっと大変だと想像できます。

 ゲーム内容ですが、当時も散々言われましたが一言でいうとバイオハザードの二番煎じです。(実はバイオハザードはプレイしたことないのでよく分かりませんが)

 さて、ゲームをやるとき「視点」に注意しながらプレイしたのですが、「DEEP FEAR」はゲームにしては珍しい視点で作られていると思いました。
 ここでいう「視点」とはカメラの視点ではなく、小説などでいう視点です。立場といった方が分かりやすいかもしれません。小説の視点には大きく分けて2つあり、特定人物の視点で語られるものと、第三者視点(神視点ともいわれる)で語られるものがあります。特定人物の視点で語られるタイプは、その人物が見たり聞いたりしたことしか語ることができないという制約があるのに対し、第三者視点では好きな所へ視点を移動することができます。それぞれ長所と短所がありますが、詳しいことは小説の書き方サイトや本を見てください(いい暇つぶしになります)。
 で、ゲーム全般における視点はどうかというと、主人公(プレイヤー操作キャラ)の視点で語られることが圧倒的に多いです。プレイヤー=主人公の関係を保つために自然とそうなったのかもしれません。

 「DEEP FEAR」に話を戻すと、これは第三者視点で語られている部分が多々見られます。
 例えば、上官が潜水艦で逃げるシーンがあるのですが、主人公の視点では潜水艦で逃げたのは分かるものの、潜水艦の中で何が起こっているのかまでは分かりません。そしてここでムービーが流れ、潜水艦の中の状況がプレイヤーにだけ明かされます。結果シュレディンガーの猫よろしく上官の生死はプレイヤーだけが認識することになります。
 こうして主人公とプレイヤーの認識にズレが生じるわけですが、ゲーム進行に問題がないので無視されているのかもしれません。ただ、「主人公=プレイヤー」を重視するRPGではまずやらないことだと思います。(もし主人公にも生死を明らかにするなら、潜水艦に設置されたカメラを使って中の状況を映し出すだとか、無線でSOSを発信させるだとか工夫がなされるはず)
 他にもこういう認識がずれるシーンがありますが、ネタバレになるので書きません。

 映画は第三者視点で描かれることが多いですが、もしかしたらこれを見て「映画みたい」という印象を持つかもしれません。
 以上、素人の講釈です。

DEEP FEAR
セガ
1998-07-16



【余談】
 海底油田事故にちなんでプレイしたけど、実は小惑星探査機「はやぶさ」にも関連してた。
 宇宙から何か持ってくるとやばいよ。